異常な部活動に喝!

テスト前の練習

今の時期、高校ではテストが行われます。

そのテストに向けて、高校側は1週間ほど部活(班活)を禁止にします。他でもなく、勉強に専念させるためです。

 

しかし、そのようにして禁止にしていながら、教師の目を盗んで活動しているところも有ります。

勿論生徒たち自身が計画しているのですが、管理役の顧問はそれを認めているようです。

 

ある学校での話です。

吹奏楽班は校内選抜(学校内から大会メンバーを選出すること)が近々行われるというので、テスト休班の放課後など、公民館を借りて練習しているらしいのです。

これでは、班活を禁止にしている意味が有りません。これは顧問も知っており、逆に勧めているようです。

その班では、「班活を充実させるために勉強も頑張りましょう。」といった言葉がまかり通っているようです。

高校生の本職は勉強ではないのでしょうか。勉強「も」と言うのは、班活を優先しているということです。

大会に出て、さらにはいい結果を残したい。それは青春と言えるかもしれませんが、勉強(学問)に関しては同じことを考えないのでしょうか。

こんな研究をして、誰かのためになりたい。自分の能力を示したい。これこそが若き力のあるうちに出来ることではないでしょうか。

 

勉強のために学校側がわざわざ用意した時間を踏みつけにして練習し、それを顧問が認めているという事実には納得がいきません。

大会一辺倒の高校

吹奏楽班員にとって夏と言えば、「全日本吹奏楽コンクール」より先に出るものは無いでしょう。高校では特に熱心で、「青春の1ページ」などとも良く言われます。

どこの学校でも「東海大会出場」といった目標が立てられ、それに向けた練習が毎日行われます。夏休みも例外ではありません。お盆を除くほぼ全ての日が練習日です。

確かに、大会で好成績を残すのは悪いことではありません。自分の苦手を克服するために苦悶することも後々糧となるでしょう。

しかし、このような練習で「身も心も」病んでしまう場合が多いのです。

息子の通っている学校(高校)でも、先輩の指導がきつ過ぎて泣き出してしまった例があります。自分の指導で後輩がうまくならないことにいら立って練習放棄をした人もいると聞きます。3年生としては最後の大会、良い結果を出したいと思うのは当然でしょう。しかし、大会のことだけ考えた結果、このように人間関係が成り立たなくなるというのは悲しい話です。

他者を理解しようとする心。これ無しには何事もうまく行きません。大会一辺倒になることで、この重要な要素が欠けてしまっているのでは?と思います。

大会に向けて楽器の技術を磨くのもいいですが、これからの人生に向けて人間性を磨くことが重要になってくるのではないでしょうか。

体育系の部活は、大半が今は比較的のんびりしているかもしれません。

ただし雪国の アイス・スケート と スキー の部活だけは一番熱が入る時期でしょう。

それと 吹奏楽 は アンサンブル・コンテスト に向けて練習漬けの毎日かもしれません。

高校生ならまだ分かります。
言い方は失礼かもしれないけど、学業の苦手な子供たちが自分のやりたいことを見つけて、その分野で活躍したいと願うことは認められていいと思っています。

でも中学生はそれじゃダメでしょう。

中学生は同じ部活をやっていても、将来の目標は一人一人異なります。
学業の成績に大きな個人差があるし、当然目指す高校も 異なります。
それを皆一緒にして同じ練習量をこなすように求めるというのは無理があります。

仮に子供たちが試合で「勝つ」ことを目指しているとしても、顧問の先生は一人一人の学業や進路志望などを広く判断して、同じような練習を課すことはやってはいけないと考えます。

「勉強を優先したいなら部活をやめろ。試合にも出さない 。」

なんて言葉が教師から発せられることなど本来あり得ないことなのですが、実際には「あり得て」しまうようです。これに口を出せない 教育委員会 はその存在意義が問われるべきです。

後ろには 「体協」 や 「吹奏楽連盟」 などの巨大組織があって、教育委員会も口を出せないということなのでしょうか・・・?

とにかく 「正月休みもない」 ような状態で練習を続け、仮に全国一位になったとしても、それがどれほど価値のあるものなのか考えてもらいたいと思います。
少なくとも私は全く評価しません。

中学生にはもっと他にやるべきことが山のようにあるはずです。

中学生は正月休みくらいは家族と一緒にのんびりと過ごしてもらいたいと願っています。
また大人たちもそうさせるよう指導すべきだと考えます。

 

今日は

教育研究集会

に行ってきました。
私の中学校同窓生が「教育問題を考える会」という地域活動の代表をしていて、その会が 毎年一般の人を集めて様々なテーマで議論を深めています。これは一つの分科会として定着しています。

さて、今日は最大のテーマになったのは

原発問題。

子供たちの安全安心をどう担保するのか、大人たちの責任をどう考えるのか・・・など活発な議論が繰り広げられました。

地域社会の中での教師、子供、親 たちのコミュニティーの構築をどのように活性化するかーーーといった議論の中で、部活の問題も提起してみました。

ひとりの先生は 専門でもない競技の顧問を引き受けさせられる教師の大変さを訴えながらも、こう述べました。

「体協(体育協会)はヒジョーに強力です。彼らは決してそれ(今の協会システム=学校の部活も含めて)を手放しません。」

って言ってました。

なるほどそんなところに既得権益が存在し、大きな壁となって立ちはだかっているということが分かりました。

本丸は非常に大きな組織で、金も力もある。

それを変えるのは大変なことです。
でも今日も保護者の話に 出たのですが、最近は野球やサッカーの部にも女の子が入ることがあるそうです。ただ大会には出られない。
それでは可哀想じゃん、サッカー女子の裾野を拡げることができないじゃん・・・という気持ちを彼らにどんどんぶつけて、まずは女の子が 大会に出場できるようにすることから始める必要があると感じました。

ゆくゆくは
女子野球チーム、女子サッカーチームの大会を行うようにさせ、さらに学校単位の出場権を排して、地域社会の独立チームも参加できるようにする。

そして体協や吹奏楽連盟などの学校支配を崩してゆく必要があるでしょう。

友人で高校教師をしている人がいます。

彼は山岳部の顧問。

「毎週部費で山に登れるんだぜ。これだから教師はやめられないよ」

と言っていました。
多分本音ではないと思います。責任感が強いひとで、それほどお気楽にやっていたとは思えないのですが、受け狙い気味に発した言葉でしょう。

でも世の中、本当に部活が「遊び場」になっている教師もいます。

とある中学の吹奏楽部はいままで

1 県大会
2 中日大会

に参加して、それが終われば三年生は引退でした。
10月に行われる
マーチング・コンクール
には三年生は参加していませんでした。だいたいその時期は3年生にとっては既に受験シーズンです。

それが今年

1 県大会
中日大会出場なし。

そして
秋のマーチングには全員参加となったようです。

生徒たちが
「私たちはマーチングより座奏に専念したい」
と訴えても、顧問教師は聞く耳もたず。

そして秋のコンクールに三年生を参加させることについても

「ぎりぎりまで部活をさせることで、受験においてもラストスパートがきく」

などといいかげんな理屈をこねています。

自分がマーチングをやりたいからといって、それを中学校の生徒にどうして強要できると思い込めるのか。
まったくこの教師の頭はどうなっているのでしょう。
音楽教師だからバカでもいい。そもそもバカだったから音楽教師にしかなれなかったのだ
っていう人もいるでしょうけど、そんな言い訳は中学生やその保護者たちに通用する話ではありません。

こういったことがなぜ長年この日本において放置されてきたのでしょうか。

私が小学校の頃、教育現場はまだ『軍隊』でした。
昭和30年から40年前半くらいのことです。
でも教師たちの態度はまさに軍人。
「キサマー!!」って声とともにビンタが飛ぶ。それが当たり前の教育現場でした。

その頃に比べれば随分良くなったことは間違いないのですが、未だに教育関係者の多くに「教育は子供たちへの奉仕」という考えはないのだと思います。大阪の橋本知事は私よりずっと若いのに、あの程度の人間です。教育基本法などたぶん知らないのではないでしょうか。

そんなオバカ連中が教育に手も足も突っ込んでくるからおかしくなるのでしょう。

誰のための教育なのか

それをもっと考えてもらいたい。

学校は教師の遊び場ではないのです。

今日9月10日の

NHK番組 「週刊 ニュース深読み」

は面白い企画でした。
あの番組を観て共感を得た方なら、私が今まで主張してきたことが理解できるでしょう。
逆に私の主張が理解できない人は、あの番組の内容がチンプンカンプンだったのではないでしょうか。

番組の内容についてはかなり多岐にわたっていたこともあり、ここで紹介はできませんが、日本のスポーツ政策のあまりにお粗末な現状が解りやすく解説されていました。

スポーツだけではありません。
吹奏楽などもスポーツ同様の問題を抱えてきました。

とりわけ中学校では頻繁に異動がある教師に部活の顧問をさせるため、生徒たちが振り回されています。たった一人のおバカ教師のせいで、部そのものが崩壊状態になってしまった例もあります。

私がかねがね主張しているように、スポーツや文化活動を学校単位、企業単位でやることに無理があるのです。
地域社会がそれを支える仕組みを創る必要があります。よって、大会も学校単位ではいけません。学校単位の出場があってもいいですが、地域のスポーツクラブや音楽クラブが参加できるようにしなければいけません。

日本型のシステムを賞賛する意見もありますが、スポーツでも音楽でも世界的プレーヤーは学校単位クラブの中からはほとんど生まれていないのが現実です。日本の学校単位の部活が優れたシステムだと言うなら、なぜその中から秀でた人間が育ってこないのでしょう。

もともと文科省は、個人の能力を伸ばすことには興味がないのだと思います。

管理し、押さえつけ、従順にさせる

それが日本国の教育の目的だと理解しているとしか思えない面が多々あります。

「一億総ロボット化」

は官僚や為政者にとっては都合がいいでしょうが、国家のダイナミズムは完全に失われます。

日本の部活のあり方はこれから変わるでしょうか?
難しいでしょう。縦割り行政の中で、官僚たちは改革など行うつもりは、はなからありません。
また親たちの9割方は現状に対して思考停止状態か、そもそも何も考えていません。

「どうせ3年間だけのことだし・・・」

という親もいますが、子供はもっと続けたいと願っているのかもしれません。大きな可能性も持った子供も、学校単位の部活の中で力を発揮できずに3年でやめてしまうことも多いでしょう。

学校でいじめなどで不登校になっても、地域のクラブ活動があればそちらが逃げ場所になるかもしれません。でも現実には学校単位ですから、不登校になればクラブ活動も参加できないし、夢の大会への出場も「叶わぬ夢」 に終わります。

なぜこんなに問題だらけの部活動を、今までほったらかしにしてきたのでしょう。
要するにスポーツは「体育教育」、吹奏楽は「音楽教育」、そしてどれもまた「徳育教育」としか捉えてこなかったのではないでしょうか。教育者も親たちもです。

そのくせ、「勝った負けた」で大騒ぎするのも教師たち、親たちですよね。

部活を一つの徳育と位置づけ、「将来社会に出たときに役に立つ人間づくり」などと理由付けし、同時に勝ち負けにこだわり勝つことの重要性を教え込ませようとする。

大企業が喜びそうですね。
そうです。要はすべては企業戦士作りの場なのですよ。学校という場は。
そこに部活もしっかりと組み込まれているのです。

「それでいいんですか?」

という疑問をこれからもずっと投げかけてゆきたいと思っています。

高校の部(班)活動に関しては、ここでは取り上げないことにしてきましたが、やっぱりヘンです。

息子は吹奏楽を中学校に引き続きやっています。
当初は時間的に無理だと判断して、「吹部には入らない」と言っていたのですが、強い勧誘に抗しきれずにやることになってしまったのです。

練習は朝と夜あるので、7時前には家を出て帰ってくるのは20時です。それは休日も続きます。
学校からは

「毎日最低2時間の自宅学習。休日は最低4時間はやってください」

と入学当初から言われていましたが、それはとても不可能な状態です。
案の定、成績は下降線をたどっています。

こうなると、いったい何のために高校へ入ったのか分からなくなってしまいます。
当人は研究者の道を進みたくて、長時間の通学時間も厭わずその高校へ入学したはず。

ところが夏休みの課題すらとても満足にはできていない。
なにしろ大会前ということもあって、お盆の4日間以外は毎日朝から晩まで練習だったのですから、学習の時間なんてあるはずがないのです。

やはり異常です。
「勝つこと」が常に最優先されてしまうように感じます。

学問に 「勝ち負け」はありません。大学進学も勝ち負けではありません。
将来数十年に渡ってやってゆく勉強の基礎固めの段階においても、そして引退するときにおいても、学問に勝ち負けなんてないんです。

それなのに、まるで資本主義の僕たれ! とばかりに競争し、その中で勝つことばかりを重視する今の学校の部活動は異常です。

かつてフランス政府が大学に対して、もっと経済効果を上げるようなカリキュラムを実施するよう動きかけたことがあります。

そのとき学生達は大規模な抗議行動に出ました。

「大学は職能訓練校ではない。アカデミックなところであるべきだ!」

という主張がなされました。

日本の若者たちは、幼い頃から競争原理を叩き込まれているので、学問の何たるかを自問すらしません。
これでは日本の将来はアウト! でしょう。

 

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