異常な部活動に喝!

9月, 2010 のアーカイブ

中学校部活廃止論

中学校の部活動に関しては、多くの問題が起きています。

とりわけ運動部と吹奏楽部。

「試合に勝つ」
ことが目的となってしまって、過剰な練習が生徒たちに課せられるようになってしまいました。

表向きは
「勝つことが目的ではない」
と学校側(顧問教師)は言いますが、とても本音とは思えません。

私の息子は吹奏楽部に入りましたが、あまりの練習時間の長さに文句を言ったことがあります。
なにしろ親よりも早く家を出て、帰りは親より遅く帰ってくる―――というのが異常と考えるのは私だけでしょうか?

土日もほとんど練習。
これではいつ勉強するの? って感じです。
それでも一年生のときにはあまり大騒ぎするようなことはしませんでした。
顧問の先生は皆から好かれていたので、どの子も練習を嫌がっていなかったということが大きかったと思います。

さて子供が二年生になったときに顧問が替わりました。
その先生は前任教師ほど部活に一生懸命というわけではないという噂を聞いて、「やれやれ」と思い期待しました。

でも・・・確かに多少は練習時間が短くなったかもしれませんが、相変わらず土日も練習。
朝は7時から夕方は6時半までという練習は変わりませんでした。
前の先生とは違ってちょっと暗い性格の先生なので、子供たちからの人気はありません。それにそれまでずっと主体にやってきた座奏からマーチングへ軸足を移しだしたこともあって、子供たちのやる気もなくなってきてしまいました。前任校ではマーチングしかやってこなかった人なので、座奏の方は教える自信がなかったのでしょうか・・・。
保護者たちの間でも「なんでいきなりマーチング?」という声が上がったのですが、私は先生のやり方にあまり口出ししたくもなかったので、その後一年は黙って様子を見ていました。

私が本気で怒ったのは今年の春のことでした。
顧問教師の文書が部員および保護者にむけて出されました。
そこには次のようなことが書かれていました。

「部活の目的は勝つことではない。進学のためでもなければプロの養成機関でもない・・・」

「いいこと言うじゃん!」
って思いました。さらに

「土日二日間続けての練習は基本的には行いません。行った場合は月曜日の練習をやりません。・・・家庭の都合を優先させてください。休むときは遠慮なく連絡してください。」

「よしよし!」

ちょうどその週の日曜日は家庭の都合があったので部活は休ませようとしていました。
で日曜日に
「今日は部活を休ませます」
と顧問にメールを。
すぐに返信がきました。

「困ります。部活に参加させてください。」

「エッ? なんで?」

私はすぐに顧問の先生に電話をしました。
先生曰く

「皆大会に向けて頑張っている。部活が忙しいことは吹部に入部したときに承知しているはず」

と私の方が怒られてしまいました。

「言っていることとやっていることが違うじゃん!」

後日校長に面会を求め、事情を問いただしました。

「先日このような文書を顧問の先生からもらってます。でも書いてあることとやっていることが違いますよ。この文書にはあなた(校長)の署名もありますよね。これはどうゆうことなんですか?」

これに対して校長は関係ない話をくだくだと話し、
「私は週に4日は学校にいないものですから・・・」
なんてことを自慢げに話しだすしまつ。

でも結局は文書内容と実際が異なることの問題を受け入れてくれ、善処するよう約束してくれました。
それから数日後に校長の署名で

「吹部は土日とも練習することはしない。・・・」などこちらが確認した件に対してコメントが出されました。

でも問題はこれで収まりませんでした。
部内でちょっとした問題が発生して、部員たち同士も関係がぎくしゃくしてしまったのです。

内容は言えませんが、結構深刻な事態でした。保護者では私だけがその事態を知る羽目に偶然にもなってしまったのです。
その件に関して早急に対応策を講じてほしい旨、顧問に伝えました。
でもなんの音沙汰もなし。私からの連絡はまったく無視されたのか・・・?
もう顧問は当てにできません。今度は校長に文書で事態の説明をしました。
でも・・・・・校長は「何か問題があったのですか?」みたいな反応。多分私の書いた文書を読んでもいなかったのではないでしょうか?
あるいは読んでも意味を理解できないほどのぼけ老人?

もうほとほとこちらが疲れ果ててしまい、

「もうこれが最後の手紙です」
と前置きして「事情をしっかり把握したうえで適当な対応をしてください」といった旨伝えました。

さぁ、私が「これが最後」と書いたら
「待ったました」とばかり、また土日二日続けての練習。そして月曜日も練習。
前の状態にすぐに戻ってしまいました。

もうあいた口がふさがりません。

部活の異常さについては二年前にとある教職員の集会の場において、その異常さを訴えました。
参加教師の中からは
「自分たちも好き好んでやっているのではない。できることならもっと楽にやりたいけど、保護者からの突き上げがあってどうしようもない」

といった発言がありました。

「ウソ言っちゃいけないよ!」

というのが正直な気持ちです。
だって、子供たちはそんなに練習したいとおもっているわけではない。
保護者の一部には「もっと練習を」という親もいることは承知していますが、それはごく一部。大半の親たちは「プロに育てようというわけでもないしねぇ・・」と過剰な部活に不満を漏らしています。
子供たちも親も「もっと楽に」と考えているのなら、そして教師も本当に「もっと楽に」と考えているなら、こんな異常な部活はすぐにやめられるはず。
でもやめられない。なぜ? なぜ? なぜ????

教師たちは部活でなにかおいしい汁が吸えるのでしょうか?
そう考えざるを得ません。
でなければ誰も望まない過剰部活をなぜ止められない?

この三年間近く、私はずっと教師たちに騙されてきました。
教師たちのウソにはもううんざり!!

子供たちもかわいそうです。
当の学校の校長自身が言っていました。

「私の知り合いの病院長から聞いたんですが、心療科を受診する中学生の9割が吹奏楽部の子供だそうです。」

それを知っていてなんの手も打たないのかい!?

もう中学校の部活は全面廃止しましょう!
なんの意味もないですよ。

ヨーロッパでは学校の部活なんて普通ありません。
子供たちは午前中で授業を終え、昼食は家で摂ります。学校給食なんてありませんからね。
そして午後は地域のサークルに参加してサッカーをやったり音楽をやったりして様々なことを学んでゆきます。
日本の中学校のように「あの顧問じゃダメだ。」とか「いい顧問が転任してしまって、来年からは成績が下がってしまう。」などの不満が出ることもありません。
皆自分の好きな指導者のいるサークルに入ればいいのですから。

日本もそうすべきではないでしょうか。

それにしても息子の中学校の教師たち(校長を筆頭に)、あまりにレベルが低くてマイリマシタ。
小学校はイイ先生に恵まれたのに。レベルの低い教師に部活までやられたんじゃ、子供たちもいい迷惑ですよ。

筑紫哲也も障壁だった

1950s.jpg
↑↑↑↑↑ 50年ほど昔の私と姉。半世紀で私たちはどれほど進歩したというのでしょう・・・・・。
●●●
以下は自分のHP:「50歳からのピアノ」に書いた内容です。
まずはご一読を。
————————————————————
2010年 9月3日
その後の中学吹奏楽部の成績は
● 県大会 「銀賞」
● 中日大会 「A:優勝」(代表にはなれず)
でした。
これで二年半にわたる部活をほぼ終えることになりました。後は今月5日の「定期演奏会」を残すのみ。
親よりも早く家を出て、親より遅く帰ってくるような学校生活を続けてきましたが、「お疲れさん」と言ってやりたい。それにしても中学校の部活の異常さを思う親が少ないのには愕然とします。
私の姉なども言います。「それは当たり前よ」—–どの学校でも同じような状況だからそれは「当たり前」で「当然のこと」で「必要なこと」 —–。それって考え方がおかしくない?? 姉や私の友人の何人かは「平和活動」を積極的にやっています。多くの日本人が「軍備増強はどこの国でもやっていること」で「当然のこと」で、だから「必要なこと」という議論を彼らはいったいどうやって崩してゆこうと考えているのでしょう。
私が見る限り、そんな努力はしていません。
「どうせ言ったって分からない。いいのよ! 私たちが正しいんだから!」
日本の「左翼運動」は何十年も前から少しも進歩していないように思えます。どうせ何を言っても理解されない—–という敗北感と同時に、「私たちは正しい」という自己満足の相反する二面性を引きずったまま、袋小路を右往左往しているだけ。
運動の手法が間違っているのではありません。それ以前の問題です。人権を声高に叫びながら、子供たちの異常な教育環境に対しては問題意識すらもたないという、思考力に問題があります。

————————————————————
以上です。
子育てや教育問題を考えるとき、しばしば「抵抗勢力」として立ちはだかるのは
学校長
教師
PTA
それに加えて「市民運動家」たちです。
「市民活動家」にとっての抵抗勢力もまた「市民活動家」を含む上記の人たちです。
以前沖縄から信州にやってこられた平和活動家がおっしゃっていました。
「筑紫さんは実は私たちにとっては一番の障害になっているんです。」
「筑紫さん」とは「ニュース23」や「週刊金曜日」などのスタッフとして活躍されていた方。
沖縄問題を積極的に取り上げてはいました。
しかしその報道の仕方が、地元の平和運動にとって障害になるようなことがあったそうです。
そして筑紫氏にそのことを再三訴えたにもかかわらず、一切の返答がなかったそうです。
かなりの怒りが地元民にあったようです。
私たちは
「あのひとは左翼だから」
「あのひとは右翼だから」
「平和活動家だから」
「環境保護団体のひとだから」
などでひとをひとつの枠にはめ、評価してしまいがちです。
その結果
「あのひとは共産党だから言っていることは正しいに違いない」
とか
「あのひとがこの問題に関心を持っていないのだから、自分たちも関心を持つ必要はないのだ」
など、おかしな行動に陥ります。
やはり
「思考力に問題がある」
ように思えてなりません。
選挙で
「なぜ共産党に投票できないか」
を本気で考えるひとなんてまずいません。
同様に
「民主党でもいいと考える人たちの心理」
を本気で考えるひともあまりいません。
「ひとは皆分かることだけ聞いている」
―――うまいことを言ったひとがいますね(ダレか忘れました)。
多くのひとは「分かること」があまりに少ないため、聞いて理解することもあまりに少ないのです。
でも
「分かっている」「分かっていない」を言い合いしてもしかたありません。
私たちは少しでも
「分かろうと努力する」
姿勢が必要なのではないでしょうか。
その上で「批判」や「共感」を示せばいいでしょう。
「何も聞かない、知りたくない」人が、無責任な支持を表明したり、批判したりすることはやめてもらいたいものだと常々思っています。

タグクラウド