異常な部活動に喝!

6月, 2011 のアーカイブ

こどもとの対話が減った

高校へ入ってからも吹奏楽を続けることになった息子との対話がすっかり減ってしまった。小学校までは家族で週末には必ずといっていいほど出かけていた。それが中学校からの部活のために、ほとんどできなくなってしまったたのです。

高校生ともなれば、もう親にどこかに連れていってもらうこともないでしょう。行きたければ自分でどこへでも行けばいいと思っています。
とはいえ、やはり家族そろってハイキングなどする休日も欲しいものです。もう15歳。いやまだ15歳 。まだまだ一緒に遊びたいのは親の正直な気持ちです。

こどもが高校生になったって、親の気持ちはそんなもの。中学生なら親子の関係はもっとずっと密であっていいはずです。
いや、中学生くらいの微妙な時期ほど、親はこどもと深く関わるべきだと思っています。

親子の対話は絶対的に必要です。それを部活が奪っている状況がいっぱいあります。絶対良くありません。

「親はなくとも子は育つ」
とはよく言われることばですが、確かに子は育つでしょうけど「豊に」育つことは難しいと思います。

考える力があって
体力があって
精神的に強くて
思いやりのある子

そんな子供は部活の中で育つのではありません。
家庭の中で育つのです。

私は多くの家庭を(外からですが)見てそれを確信しています。
家庭が崩壊してしまっているような状況なら、家の中にいるよりは学校に居た方がいいと言えるでしょうが、そもそも家庭崩壊している中で育った子供というのは、学校においても行動が不安定であり部活動もうまくいっていない場合が多いようです。

もしあなたが子を持つ親で、「もっと子供とふれあいたい」と思っているなら、絶対にそうすべきです。子供だってそれを望んでいるに違いないと思うからです。
親子ともども学校の部活に縛られて不自由な思いをすることはありません。そんな部活なら顧問に文句を言う。それでもダメなら校長に訴える。それでもダメなら教育委員会へ。
それでもらちがあかないなら、さっさと部活をやめるべきでしょう。

とにかく「勝つ」ことを目的とした部活は中学校の活動としては異常です。「勝つ」ことがこの日本において最大の価値があることを思い知らせようという向きもありますが、そんなバカな考えに同調することのないようお願いしたいと思います。
勝てばいいのだ! という考えはホリエモンや村上ファンドの村上のような人間をつくるだけです。社会にとって何のメリットもありません。いや害でしかありません。そのような人間に育ててしまわないように考えていただきたいと思います。

「勝つことを目的とはしていない」
といいはる教師や親もいますが、ホントにそう思っていますか?
だって、勝敗に関係ない部活は土日の活動なんてしていない。
長時間の部活をやっている部というのは、例外なく「大会」がある部です。

なんと言おうと、本心は「勝ちたい」:それは子供たちの気持ちというより教師と親の気持ちではないですか?
特に母親の熱の入れようときたら、明らかに子供たち以上ですよ。

事実息子の中学校に「申し入れ」をしに来た母親たちは
「今のままでは大会に勝てない」
と言って練習量を増やすことを訴えてきたというのです。

オカアさんたち、冷静になりましょうね!!

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高校の部活に関して

このサイトは
中学校の部活廃止を訴えるもので、高校は対象外だったのですが、テレビで某高校の吹奏楽部の子が「一日8時間練習している」と言っているのを聞いて、「そな、アホな!」と思いブログに書いてしまったことから話がややこしくなってしまいました。

「一日8時間」というのは、夏休みなどのことであって、普段も8時間練習しているわけではないことを後で知ってホッとしたのですが、この記事に対する反応が結構あって私も胸につかえていたものを吐き出す結果となってしまいました。

でもこの件はこれにて終息させたいと思います。

高校部活に関しては議論の対象外です。
中学校から高校へ進学するときに、自分の得意なもの、あるいは強い情熱を持っているものに突き進むというのは当然のことだと考えています。
それが音楽だったり、スポーツだったりするのは全く問題ないし、やりたいことも見つからず「とりあえずは高校くらい出ておこう」という生徒よりずっと立派だとも言えるでしょう。

目的意識がハッキリしていない生徒を悪く言うつもりは全くありません。あれもこれも出来すぎてしまう子が、進路を迷うことだってあるわけですから。
そのような子は高校生活の中で進路を探ってゆけばいいわけです。

部活より勉強の方が大事。
———そう簡単には言えません。高校の場合は。
基本的な学習はしっかりやっておく必要はありますが、自分の夢を高校生活の中で実現したい子だっているはず。そのような子の高校生活を批判するつもりもありません。
親元を離れて、芸術やスポーツや学問の「名門校」に通う子供たちを讃えこそすれ、少しも軽蔑する気はありません。

でも中学は別ですよ。
これは何度でも言いたい!
義務教育において、教師や親が「勉強なんかしなくていい。部活に専念しろ」なんていう話は到底容認できません。
実際にそのようなことが複数の学校で発生している現実を見てきたため、私は声を上げざるを得なくなったのです。

そこはご理解いただきたいと思います。
小中学校では
親は子供に「教育を受けさせる義務がある」こと。
子供は「教育を受ける権利がある」こと。
教師は「教育の奉仕者である」こと。
これは厳格に理解している必要があります。

学力崩壊が叫ばれて久しいですが、大学の先生たちからも悲鳴が上がっています。
「学力崩壊が大学まで浸透してきてしまって、全くの基礎勉強からやり直さなければならない状況がある」
と、とある大学の先生は嘆いていました。
そんな子が大学を卒業していったいどんな仕事ができると思いますか?
恐ろしい状況であることを認識していただきたいと思います。

真に子供たちの成長を願って

昨日、息子の高校地域の吹奏楽バンドの演奏会がありました。

小学生からおじいちゃんまで、様々なバンドが集まって演奏を披露してくれました。小学生の金管バンドの元気いっぱいの演奏は本当に楽しいです。

息子の通う高校の目と鼻の先にある中学校は常に県内でも最強校のひとつで、見事な演奏を聴かせてくれました。

吹奏楽が子供から大人まで、自由に楽しめるものであることを再確認させられる演奏会ではあったのですが、では子供たちの多くが吹奏楽を続けているかというと、そうではありません。

大半の子供たちが進学に合わせるように楽器演奏をやめてしまっています。毎年のように全国大会に出場している県内では有名な小学校金管バンドの児童のほとんどが、中学校へ進学したあとはもう楽器演奏をやめてしまうそうです。

息子の高校吹奏楽は県内ではだいたい三番目くらいの力ですが、高校へ入って初めて楽器を手にするような子もいます。すぐそばに力のある中学校があるにもかかわらず、その中学からの入学者で吹奏楽を続ける子はほとんどいないようです。

小学校から高校に至るまで、みな3年以内に結果を求められています。そして短期間に燃え尽きてしまうのが現実のようです。とてももったいないことだと思います。

息子も実は高校へ入ってしばらくは「もう吹奏楽はやらないよ」と言っていたのです。でも熱心に誘われて練習風景を見に行って気が変わったようです。毎日爆笑しながらの練習は楽しくて、今は毎日練習に参加しています。

大半の子が国立大学を目指している環境ですから、班活動優先なんてことはあるはずもなく、親も比較的安心していられます。

自分自身は中学校のころサッカーに熱中しました。誰しもが高校でもサッカーを続けると思っていたようです。

でも私は続けませんでした。中学校では指導者がひとりもおらず、すべて自分たちだけでやらなければならない環境でしたが、最初の地区大会では準優勝しました。次の大会では二回戦で2対1で破れましたが、相手のチームは県大会優勝チームでしたので、悔いはありません。

私も「燃え尽きていた」のかもしれません。中学校で一緒にサッサーをやり、別の高校へ進んだ仲間は

「なんでサッカーをやらないんだ。お前がやらないならオレはつまらない」

と言ってくれたものでした。でもどうしてもやる気になりませんでした。

中学生にとって部長の仕事は結構過酷だったのかもしれません。当時は当たり前のことをやっているだけという気持ちでしたが、多くの部長経験者が高校ではその競技をやめてしまっていることを知り、複雑な思いです。

特にある程度の実績を残した部員ほど、進学を機にやめてしまう傾向が感じられます。

子供たちの成長を真に考えるなら、長期的に活動できる場が必要と思えるのですが・・・。

モンスター・ペアレンツ(Parents)

モンスター・ペアレンツ

という言葉が出てきたのはいつ頃からでしょうか?
最近はあまり耳にしないような気もしますが、それはそのような親が少なくなったのではなくて、あまりに普通になってしまったからかもしれません。

子供が中学校時代にこんなことがありました。

あまりにも吹奏楽の部活動が過剰でありなおかつ顧問教師の誠意も責任感もない態度に業を煮やし、ついに校長室へ出向くことになりました。
でも私はモンスター・ペアレントではないし、クレーマーでもありません。
とりあえず学校としての基本的考え方を確認しにいったのです。
顧問の言っていることとやっていることの大きな矛盾についても説明を求めました。

校長の対応にはそれなりの誠意もありましたが、なんとなく歯切れが悪く議論をそらそうとの意図も感じられました。話は子供たちの現在のおかれている難しい問題にも及びましたが、その場で校長から聞かされたことにビックリしました。

私が校長室を訪ねるより前に、3人の母親たちが校長室を訪れ
「もっと部活動の時間を長くしてください」
と直談判しに来たというのです。

土曜も日曜もなく、毎日長時間に渡って練習しているのに、まだ足りないと母親たちは文句言っているのだそうです。

「今のままでは優秀な成績をおさめることができない」
と言うのです。
呆れ返った母親たちの要求です。学校をいったい何だと思っているのでしょうか?

でも彼らの本音を説明しますとこういうことです。

「私の子供はもう勉強はあきらめています。せめて 吹奏楽で結果を残させてあげたい」

これが母親たちの本音のようでした。

あなたの子供がいくら好きなことに打ち込もうとそれは私には関係のないこと。どうぞお好きにおやりなさい。親も子供のやりたいようにさせればいい。
でも自分の子供のために 他の家の子供まで「勉強より吹奏楽を優先させる」なんてことができるはずはありません。
でもその母親たちはもう完全に理性を失っているように私には思えました。

子供たちの中には
「部活は趣味でやっていること。一番大事なのは勉強」
と思っている子だって当然います。 それを自分の子供のことを一番に考えて他の子供たちをそれにあわせようとする。こんな馬鹿げたことが実際に起きています。
こんな親をモンスターと呼ぶのでしょう。

高校へ行けば学力も同程度の生徒たちになりますので、部活を一番にするような学校があってもいいでしょう。あくまで学習が一番という学校だってあります。

でも中学校だと、勉強のできる子と出来ない子の差は大きく開いてしまいます。そんな中で生徒たちの意識を一つにして同じ行動を求めることなどできるはずはないのです。

日本全国できっとこんなことが起きているのでしょうね。

子供たちの間のバトル。子供たちと教師の間のバトル。そして親たちの間のバトル・・・。
こんなことをなくすためにも中学校の部活は廃止した方がいいのです。

せめて勝敗のつかない文化活動におさめるべきでしょう。

知識 教養 人格 形成の場

教育においては知識のみならず人として大切な
知力(考える力)と人格形成は重要なテーマです。

サークル活動が特に人格形成において重要な位置を占めていることは認めます。私自身中学時代のサッカーや高校、大学時代の山岳部での活動がとても大きな経験になったことは確かです。

だから私はサークル活動を否定しているのではありません。そのことは再度強調しておきたいと思います。

私が批判しているのは、中学校内に限った「部活」です。
何度も言いますが
1.教職員たちに大きな負担となっている。
2.教員は数年で移動となり、そのつど子供たちが振り回される。
3.部活がしばしばいじめの場となっている(校外サークルならあまり問題になっていません。仮にあってもいつも一緒にいるわけではないので実害にならない場合も多い。)
4.しばしば学校の名誉が子供たちの教育権利を侵している。
5.子供値たちの健康を害している場合がある。

まだまだ上げればいっぱいあります。

サークル活動が学校内で行われなければならない理由は何もありません。なのにどうして日本では学校内部活動が重要視されてしまうのでしょう。

よく、
「日本は日本独特の部活動によって人格形成がなされている。それゆえ日本人は礼儀正しい」
と言う人がいます。

私は一年あまりヨーロッパで生活しましたが、日本人がヨーロッパの人々より礼儀正しくマナーが良いとは全く思いません。

むしろ逆の場合が多く、スイスのツェルマットではあまりに日本人観光客のマナーが悪いことから、一時日本人を村に入れない措置がなされたほどです。

私が最も長く暮らしたオーストリア ザルツブルクでは、住民のマナーの良さと礼儀正しさ、そして治安の良さは暮らした人なら誰でも日本人より上であると認めるでしょう。

日本人は「日本人の優位性」などというおとぎ話をしたがる人たちによって、だまされています。耳に心地よい主張ばかりに流される日本人の性格にも問題があります。

「日本では水と治安はただ」
なんて言われた時代もあったかもしれません。今は誰がそんなことを信じるでしょう?
外国のことを何も知らないひとが思い込みだけでそう言っているだけではないでしょうか?

もっと現実をみてもらいたい。

つまり部活動で日本人の人格が形成されているという議論は完全に破綻しているのです。

文科省でも「部活動の意味」に関しては
「学年の違いを超えて生徒がともに同じ趣味を通して成長してゆくこと」を重要視していたと記憶しています。

でも実際の学校内部活動は上下関係が厳しく 、「学年の差を超えて」子供たちが自由闊達に活動できる場ではなくなっています。子供たちだけに任せておけばまだいい場合もあるでしょう。でも教師が異常なほどに関わろうとするためかえって厄介なことになっている状況をかなり見てきました。

今時儒教的精神で礼節さを上下関係の厳しさで植え付けようなんて、おかしかないでしょうか?

「人格」という言葉も教師によって全く解釈が違います。

中学校教師も子供たちももっと部活動から自由になってもらいたいと願います。

ボロボロの吹奏楽部

もう笑うしかない!

わずか2〜3年でここまでダメになるものか!
演奏している本人たちも自分たちの演奏に笑っている。
驚いてしまうのは、結構いい演奏をしていた子たちまでボロボロになっていること。

顧問教師はムッツリ顔。でもこれは最初からか・・・。

大変優れた指導者が地域のとある小学校の金管バンドの指導をしていました。その先生をA先生としましょう。
その小学校のレベルは突出していました。A先生はじきに近くの中学校に赴任し、その中学校の吹部を全国レベルにまで引き上げました。わずか二年で!
そして3年間だけでその先生はまた移動してしまいました。

その中学校こそ息子がいた中学校です。息子は一年間だけA先生に教わることができました。前述の小学校の金管バンドは、その後もA先生のDNAを引き継ぎ、中学校へ進んでも吹奏楽をやる子が多かった。その中学の吹部のレベルは、一校の小学校卒業生の力で成り立っていたようなものでした。

でも、その流れは完全に失われました。
なぜなら当小学校の生徒たちのDNAは A先生のDNAだからです。その演奏スタイルは正統派の座奏。
でも今の顧問はひとり自分の趣味の世界に 入ってしまいました。そのため折角小学校で力をつけた子供たちが、「あの中学校では自分たちの目指す音楽ができない」と吹部に入部しなくなってしまったのです。

毎年20人前後の入部者がいたのに、今年はたった12人。来年は「小編成」で大会に臨むしかないかもしれません。

でもそれも、もうどうでもいいや・・・って感じ。
なぜなら今の力量だと、最初の大会で敗退でしょう。彼らにとって出場できる大会は一回だけとなってしまいそうです。
でも顧問は「しめしめ」と思っているように見えてなりません。なぜならさっさと最初の大会で敗退すれば、後はマーチングだけに専念させることができるからです。
このままだと、どんどん部員も減ってしまいそうです。

生徒たちも親たちも「あの先生じゃダメだ」って言っているのに、当の先生は
「私を信じてついてきてください」って言っています。でもその先生が行く先々の中学校の吹部がどこも「没落」しているのです。誰も先生を信じません。

去年までは「このままでは県大会も無理だぞ。なんとか立て直してもらいたい」
って思っていましたが、ここまで落ちてしまうと大会云々言う気にもなれません。もう笑うしかない状況です。

ところで前任のA先生ですが、別の地域の小学生と中学生を集めて、地域独自のバンドを結成して指導しているようです。なかなか皆が一緒に集まって練習できない状況にもかかわらず、一度聴いたそのバンドの演奏は周辺地域各中学校の中でトップレベルでした。

私がずっと主張していること。
それは部活は学校の中で行われるべきではなく、地域社会が優秀な指導者を選んで、地域に根ざしたサークルとしてやらせるべき——ということです。
この先生はそれを実践してくれています。現状ではこのような団体は学校単位で行われる大会に参加はできないのですが、今後はこのような団体の参加を認めるべきではないでしょうか。
いま、どん底に落ちてしまった中学校の吹奏楽部員たちも、もしA先生の指導のもとで吹奏楽を学び、そして大会にも出られるとなれば、ほとんどの子たちがそちらの団体へ移るかもしれません。そしてずっと生き生きと毎日を送れるはずなのです。

子供たちがかわいそうです。
多少の運不運は仕方ないとしても、これほどまでの極端な状況を見せつけられると、子供たちを守るためにもなんとかしたいという思いが強くなります。

「感謝」の大安売り

最近気になっている現象に

「感謝の心を忘れない」
というフレーズが至る所で聞かれることです。まさに 「大感謝セール」。。。
特に吹奏楽などの演奏会で、最後の挨拶では必ずと言っていいほどこの言葉が聞かれます。

「結構なことじゃない!」
・・・かもしれません。

でも「まてよ」という気もします。

ひねた見方なのかもしれませんが、教師が生徒に対して「感謝の心・・云々」を口にするとき、その本心は「俺に感謝しろ」と言っているように聞こえるのです。あるいは社交辞令として身につけておけ!と言っているのかも。。。

そもそも感謝の気持ちなんて誰かに言われて感じるものではないでしょう。
でも無理矢理 言わされているように感じられてなりません。
———そういうことを言うのが社交辞令。社会人になるためのこれも訓練だよ ———
そんな気配が感じられてならないのです。

そう考える背景にはこんな例が多々あるからです。

「私たちは一人で生きているのではありません。お父さんが仕事でお金を家にもってきてくれます。お母さんが毎日ごはんを作ってくれます。家の電気は電力会社の人たちが毎日電気を作ってくれているからです。学校へ行けるのは政治家の皆さんや役所の皆さんの努力の結果です。」

だからすべての人に感謝しましょう・・・と言うのです。
間違いだとは思いませんが「修身」みたいで気持ち悪い。
私たちはより安全で平和で自由な社会に暮らしたいと願っています。そのためにはその障害となるものに対しては屹然たる態度が必要なときもあるはずです。

無責任で嘘だらけの政治家や、 放射能をまき散らす電力会社、社会の底辺に生きるひとを無視する役所。
これらに対しては怒りの声を上げてしかるべきなのです。感謝だけでは 社会は良くなりません。

でももし生徒たちが政治的、社会的発言をしたらどうでしょう。
恐らく教師たちは公共の場でのそういった発言はやめさせるように圧力をかけるだろうと想像します。
どこでもそうだと言うつもりはありませんが、生徒の自由な発言はなかなか聞かれません。

「公共の場での発言は、誰の気持ちも害することをしてはいけない。だから政治的、宗教的、社会的発言は慎むべし」
それが社会人になるための基本的マナーです・・・というような教育が至る所でなされているように感じられてならないのです。

この教育のおかげかどうか、日本人は公の場で自分の意見をハッキリ言いません。それを「日本人の奥ゆかしさ」という人がいますが、私は違うと思います。
これはかなり政治的な配慮だと感じます。政府や役所など権力の側にいる人に対しての批判をさせない「指導」が文科省から教育の現場まで染み渡っているからではないでしょうか。その意味では日本の教育は戦前とあまり変わらないようにも思えます。

彼らの「お世辞」スピーチを聞いていると、まるで北朝鮮にいるような気分になってきます。

だいたい「お父さん、お母さん、私たちは感謝しています」って言われて嬉しいですか?
私はとても気持ち悪い。親が子供のために最大限のことをするのは当たり前のこと。学校に行かせ趣味を持たせたくらいで感謝なんてして欲しくない。それとも子供に感謝されて感激する親もいるのでしょうか・・・?

感謝の押し売り や 社交辞令の強要 はやめてもらいたいと思っています。

「怒れ! 子供たちよ!」

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