異常な部活動に喝!

  • 努力すれば願いは必ず叶えられる!

って言う人がいますよね。でもそれは願いのレベルによります。
音痴な人がプロのミュージシャンを目指しても、それは徒労に終わるでしょう。
運動神経の鈍い人がプロの選手を目指しても同様です。

当たり前のことですよね。
だから普通の人は自分の手の届く範囲に目標を定めて努力します。
でも中には過大な目標を掲げてしまって、身動きがとれなくなってしまう人もいます。

私などは「最初からそんな目標はやめておけば良かったのに!」
と思うのですが、結構多くの人が(無責任にも)こう言います。

「目標は高いほどいい。高いほどキミをより高みへと導くのだ。仮に目標を達成できなくても、努力したことがキミの貴重な財産になる」

ナーーンて具合に。。

なぜ他人をそんな嘘で振り回すようなアコギなまねをするのでしょう。

これは資本主義と大きく関係していると思います。
より多くの利益をもたらすよう、社員に対してはたとえ病気にさせても高い目標を達成させたい 経営者の論理と重なります。

人は仕事のためだけに生きているわけではありません。人生を楽しむためのエネルギーはしっかり残しておかなくてはなりません。

でも資本家たちはそれが気にくわない。
「人生を楽しむだって?! そんなことは会社を辞めてから言ってくれ。ここにいる限りは100%、いや120%の力を出し切ってくれ!」

と言うでしょう。そしてさらにこんなきれいごとを言います。

「高い目標をクリアできてこそ一流人だよ。その過程でキミは大きく成長するのだ」
って具合です。サラリーマン諸君なら何度も聞かされた言葉じゃないですか?

高い目標を達成しようとして、病気になったり死んでしまった人を私は何人も知っています。
「命より大切な仕事ってなんですか?!」
という残された家族の悲痛な声は、資本家たちには届きません。

しかしこの「努力すれば報われる」式の考え方は小学校から教育現場に取り入れられてきました。その背景には子供たちを将来の「企業戦士」として使いたい財界からの要請に国家がまるごと協力する体制が作られてきたからです。

私たちはなぜ資本家たちや政治家たちに隷属することを無気力に受け入れてしまったのでしょう。やはり子供の頃からの歪んだ教育制度が背景にあると考えざるを得ません。

趣味で何かに取り組んでいる人は、自分が努力しているなんて少しも思わないはずです。私がサッカーに夢中になっていたころ、毎日ボールを蹴って遊んでいました。でも他人から見たらすごい努力をしていたと思われたに違いありません。
サッカーボールに砂をつめて、それを蹴ってキック力を養いました。コーナーキックを直接ゴールに入れる練習もしました。ドリブルで巧みに敵をかわすテクニックを身につけようと練習しました。

それを「努力」と呼ぶのは他人です。自分ではまったく「努力している」なんて思ってもいませんでした。だってただ好きなことをもっと楽しむための方法を考えていただけなのですから。

息子にトランペットを買い与えたのは自分が50歳になったころ。オークションで安いトランペットを手に入れて息子に使わせました。
中学校に入って、吹奏楽部に入部したのを機に、もっと状態が良くグレードも高いペットをまたオークションで手に入れて与えました。それまで使っていたペットは私のおもちゃとなったわけです。

少しずつ音が鳴るようになり、音程も少しずつ安定してきました。するといろいろ曲を演奏したくなります。訓練しなければならないことが沢山でてきます。毎日5〜10分くらいですが、練習しています。これを「努力」とは全く思っていません。好きなことをやっているだけ。それをもっと楽しみたいために練習しています。なんの苦痛もありません。

実は「努力」なんて本気でやっている人自身は自覚しているものではないと思います。 他人が一生懸命やっている人をみて「努力のひと」なんて勝手に言っているだけです。

「俺は努力している」なんて自分で言う人間はとても信用できません。

本当はやりたくないけど、やらなければならないときにこの「努力」という言葉が俄然深い意味をもってきます。
そう、やりたくないと言われても企業経営者たちは従業員にやらせなくてはなりません。そして努力がいかに美しいものであるかを社員たちに説くわけです。
「努力しないやつはダメなヤツ。人間失格」
なんて言うのです。この洗脳教育で社員たちは理不尽な要求も「努力して」受け入れることが社会人として必要なことなのだと思い込まされてしまうのです。

「誰のため?」
「何のため?」
その問いかけは自身にしているのでしょうか?

企業の要求する「努力」をまじめに行った結果、健康を害し家族を不幸にしている例を私は沢山みてきました。

「努力の尊さ」を口にする人間はあまり信用できません。そんな人間は財界の回し者みたいな人です。管理者が人を自分たちの都合のよい者にするための催眠術だと思っていた方がいいと思います。

それから、今まで好きでやっていたことが努力を必要とすることだと感じるようになったなら、それはもうやめた方がいいでしょう。「努力」は必ず自分以外の誰かのためになってしまっているからです。好きなものが嫌いになってしまいますよ。そんなことやめましょう。

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