異常な部活動に喝!

最近気になっている現象に

「感謝の心を忘れない」
というフレーズが至る所で聞かれることです。まさに 「大感謝セール」。。。
特に吹奏楽などの演奏会で、最後の挨拶では必ずと言っていいほどこの言葉が聞かれます。

「結構なことじゃない!」
・・・かもしれません。

でも「まてよ」という気もします。

ひねた見方なのかもしれませんが、教師が生徒に対して「感謝の心・・云々」を口にするとき、その本心は「俺に感謝しろ」と言っているように聞こえるのです。あるいは社交辞令として身につけておけ!と言っているのかも。。。

そもそも感謝の気持ちなんて誰かに言われて感じるものではないでしょう。
でも無理矢理 言わされているように感じられてなりません。
———そういうことを言うのが社交辞令。社会人になるためのこれも訓練だよ ———
そんな気配が感じられてならないのです。

そう考える背景にはこんな例が多々あるからです。

「私たちは一人で生きているのではありません。お父さんが仕事でお金を家にもってきてくれます。お母さんが毎日ごはんを作ってくれます。家の電気は電力会社の人たちが毎日電気を作ってくれているからです。学校へ行けるのは政治家の皆さんや役所の皆さんの努力の結果です。」

だからすべての人に感謝しましょう・・・と言うのです。
間違いだとは思いませんが「修身」みたいで気持ち悪い。
私たちはより安全で平和で自由な社会に暮らしたいと願っています。そのためにはその障害となるものに対しては屹然たる態度が必要なときもあるはずです。

無責任で嘘だらけの政治家や、 放射能をまき散らす電力会社、社会の底辺に生きるひとを無視する役所。
これらに対しては怒りの声を上げてしかるべきなのです。感謝だけでは 社会は良くなりません。

でももし生徒たちが政治的、社会的発言をしたらどうでしょう。
恐らく教師たちは公共の場でのそういった発言はやめさせるように圧力をかけるだろうと想像します。
どこでもそうだと言うつもりはありませんが、生徒の自由な発言はなかなか聞かれません。

「公共の場での発言は、誰の気持ちも害することをしてはいけない。だから政治的、宗教的、社会的発言は慎むべし」
それが社会人になるための基本的マナーです・・・というような教育が至る所でなされているように感じられてならないのです。

この教育のおかげかどうか、日本人は公の場で自分の意見をハッキリ言いません。それを「日本人の奥ゆかしさ」という人がいますが、私は違うと思います。
これはかなり政治的な配慮だと感じます。政府や役所など権力の側にいる人に対しての批判をさせない「指導」が文科省から教育の現場まで染み渡っているからではないでしょうか。その意味では日本の教育は戦前とあまり変わらないようにも思えます。

彼らの「お世辞」スピーチを聞いていると、まるで北朝鮮にいるような気分になってきます。

だいたい「お父さん、お母さん、私たちは感謝しています」って言われて嬉しいですか?
私はとても気持ち悪い。親が子供のために最大限のことをするのは当たり前のこと。学校に行かせ趣味を持たせたくらいで感謝なんてして欲しくない。それとも子供に感謝されて感激する親もいるのでしょうか・・・?

感謝の押し売り や 社交辞令の強要 はやめてもらいたいと思っています。

「怒れ! 子供たちよ!」

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