異常な部活動に喝!

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中学校部活廃止論

中学校の部活動に関しては、多くの問題が起きています。

とりわけ運動部と吹奏楽部。

「試合に勝つ」
ことが目的となってしまって、過剰な練習が生徒たちに課せられるようになってしまいました。

表向きは
「勝つことが目的ではない」
と学校側(顧問教師)は言いますが、とても本音とは思えません。

私の息子は吹奏楽部に入りましたが、あまりの練習時間の長さに文句を言ったことがあります。
なにしろ親よりも早く家を出て、帰りは親より遅く帰ってくる―――というのが異常と考えるのは私だけでしょうか?

土日もほとんど練習。
これではいつ勉強するの? って感じです。
それでも一年生のときにはあまり大騒ぎするようなことはしませんでした。
顧問の先生は皆から好かれていたので、どの子も練習を嫌がっていなかったということが大きかったと思います。

さて子供が二年生になったときに顧問が替わりました。
その先生は前任教師ほど部活に一生懸命というわけではないという噂を聞いて、「やれやれ」と思い期待しました。

でも・・・確かに多少は練習時間が短くなったかもしれませんが、相変わらず土日も練習。
朝は7時から夕方は6時半までという練習は変わりませんでした。
前の先生とは違ってちょっと暗い性格の先生なので、子供たちからの人気はありません。それにそれまでずっと主体にやってきた座奏からマーチングへ軸足を移しだしたこともあって、子供たちのやる気もなくなってきてしまいました。前任校ではマーチングしかやってこなかった人なので、座奏の方は教える自信がなかったのでしょうか・・・。
保護者たちの間でも「なんでいきなりマーチング?」という声が上がったのですが、私は先生のやり方にあまり口出ししたくもなかったので、その後一年は黙って様子を見ていました。

私が本気で怒ったのは今年の春のことでした。
顧問教師の文書が部員および保護者にむけて出されました。
そこには次のようなことが書かれていました。

「部活の目的は勝つことではない。進学のためでもなければプロの養成機関でもない・・・」

「いいこと言うじゃん!」
って思いました。さらに

「土日二日間続けての練習は基本的には行いません。行った場合は月曜日の練習をやりません。・・・家庭の都合を優先させてください。休むときは遠慮なく連絡してください。」

「よしよし!」

ちょうどその週の日曜日は家庭の都合があったので部活は休ませようとしていました。
で日曜日に
「今日は部活を休ませます」
と顧問にメールを。
すぐに返信がきました。

「困ります。部活に参加させてください。」

「エッ? なんで?」

私はすぐに顧問の先生に電話をしました。
先生曰く

「皆大会に向けて頑張っている。部活が忙しいことは吹部に入部したときに承知しているはず」

と私の方が怒られてしまいました。

「言っていることとやっていることが違うじゃん!」

後日校長に面会を求め、事情を問いただしました。

「先日このような文書を顧問の先生からもらってます。でも書いてあることとやっていることが違いますよ。この文書にはあなた(校長)の署名もありますよね。これはどうゆうことなんですか?」

これに対して校長は関係ない話をくだくだと話し、
「私は週に4日は学校にいないものですから・・・」
なんてことを自慢げに話しだすしまつ。

でも結局は文書内容と実際が異なることの問題を受け入れてくれ、善処するよう約束してくれました。
それから数日後に校長の署名で

「吹部は土日とも練習することはしない。・・・」などこちらが確認した件に対してコメントが出されました。

でも問題はこれで収まりませんでした。
部内でちょっとした問題が発生して、部員たち同士も関係がぎくしゃくしてしまったのです。

内容は言えませんが、結構深刻な事態でした。保護者では私だけがその事態を知る羽目に偶然にもなってしまったのです。
その件に関して早急に対応策を講じてほしい旨、顧問に伝えました。
でもなんの音沙汰もなし。私からの連絡はまったく無視されたのか・・・?
もう顧問は当てにできません。今度は校長に文書で事態の説明をしました。
でも・・・・・校長は「何か問題があったのですか?」みたいな反応。多分私の書いた文書を読んでもいなかったのではないでしょうか?
あるいは読んでも意味を理解できないほどのぼけ老人?

もうほとほとこちらが疲れ果ててしまい、

「もうこれが最後の手紙です」
と前置きして「事情をしっかり把握したうえで適当な対応をしてください」といった旨伝えました。

さぁ、私が「これが最後」と書いたら
「待ったました」とばかり、また土日二日続けての練習。そして月曜日も練習。
前の状態にすぐに戻ってしまいました。

もうあいた口がふさがりません。

部活の異常さについては二年前にとある教職員の集会の場において、その異常さを訴えました。
参加教師の中からは
「自分たちも好き好んでやっているのではない。できることならもっと楽にやりたいけど、保護者からの突き上げがあってどうしようもない」

といった発言がありました。

「ウソ言っちゃいけないよ!」

というのが正直な気持ちです。
だって、子供たちはそんなに練習したいとおもっているわけではない。
保護者の一部には「もっと練習を」という親もいることは承知していますが、それはごく一部。大半の親たちは「プロに育てようというわけでもないしねぇ・・」と過剰な部活に不満を漏らしています。
子供たちも親も「もっと楽に」と考えているのなら、そして教師も本当に「もっと楽に」と考えているなら、こんな異常な部活はすぐにやめられるはず。
でもやめられない。なぜ? なぜ? なぜ????

教師たちは部活でなにかおいしい汁が吸えるのでしょうか?
そう考えざるを得ません。
でなければ誰も望まない過剰部活をなぜ止められない?

この三年間近く、私はずっと教師たちに騙されてきました。
教師たちのウソにはもううんざり!!

子供たちもかわいそうです。
当の学校の校長自身が言っていました。

「私の知り合いの病院長から聞いたんですが、心療科を受診する中学生の9割が吹奏楽部の子供だそうです。」

それを知っていてなんの手も打たないのかい!?

もう中学校の部活は全面廃止しましょう!
なんの意味もないですよ。

ヨーロッパでは学校の部活なんて普通ありません。
子供たちは午前中で授業を終え、昼食は家で摂ります。学校給食なんてありませんからね。
そして午後は地域のサークルに参加してサッカーをやったり音楽をやったりして様々なことを学んでゆきます。
日本の中学校のように「あの顧問じゃダメだ。」とか「いい顧問が転任してしまって、来年からは成績が下がってしまう。」などの不満が出ることもありません。
皆自分の好きな指導者のいるサークルに入ればいいのですから。

日本もそうすべきではないでしょうか。

それにしても息子の中学校の教師たち(校長を筆頭に)、あまりにレベルが低くてマイリマシタ。
小学校はイイ先生に恵まれたのに。レベルの低い教師に部活までやられたんじゃ、子供たちもいい迷惑ですよ。

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筑紫哲也も障壁だった

1950s.jpg
↑↑↑↑↑ 50年ほど昔の私と姉。半世紀で私たちはどれほど進歩したというのでしょう・・・・・。
●●●
以下は自分のHP:「50歳からのピアノ」に書いた内容です。
まずはご一読を。
————————————————————
2010年 9月3日
その後の中学吹奏楽部の成績は
● 県大会 「銀賞」
● 中日大会 「A:優勝」(代表にはなれず)
でした。
これで二年半にわたる部活をほぼ終えることになりました。後は今月5日の「定期演奏会」を残すのみ。
親よりも早く家を出て、親より遅く帰ってくるような学校生活を続けてきましたが、「お疲れさん」と言ってやりたい。それにしても中学校の部活の異常さを思う親が少ないのには愕然とします。
私の姉なども言います。「それは当たり前よ」—–どの学校でも同じような状況だからそれは「当たり前」で「当然のこと」で「必要なこと」 —–。それって考え方がおかしくない?? 姉や私の友人の何人かは「平和活動」を積極的にやっています。多くの日本人が「軍備増強はどこの国でもやっていること」で「当然のこと」で、だから「必要なこと」という議論を彼らはいったいどうやって崩してゆこうと考えているのでしょう。
私が見る限り、そんな努力はしていません。
「どうせ言ったって分からない。いいのよ! 私たちが正しいんだから!」
日本の「左翼運動」は何十年も前から少しも進歩していないように思えます。どうせ何を言っても理解されない—–という敗北感と同時に、「私たちは正しい」という自己満足の相反する二面性を引きずったまま、袋小路を右往左往しているだけ。
運動の手法が間違っているのではありません。それ以前の問題です。人権を声高に叫びながら、子供たちの異常な教育環境に対しては問題意識すらもたないという、思考力に問題があります。

————————————————————
以上です。
子育てや教育問題を考えるとき、しばしば「抵抗勢力」として立ちはだかるのは
学校長
教師
PTA
それに加えて「市民運動家」たちです。
「市民活動家」にとっての抵抗勢力もまた「市民活動家」を含む上記の人たちです。
以前沖縄から信州にやってこられた平和活動家がおっしゃっていました。
「筑紫さんは実は私たちにとっては一番の障害になっているんです。」
「筑紫さん」とは「ニュース23」や「週刊金曜日」などのスタッフとして活躍されていた方。
沖縄問題を積極的に取り上げてはいました。
しかしその報道の仕方が、地元の平和運動にとって障害になるようなことがあったそうです。
そして筑紫氏にそのことを再三訴えたにもかかわらず、一切の返答がなかったそうです。
かなりの怒りが地元民にあったようです。
私たちは
「あのひとは左翼だから」
「あのひとは右翼だから」
「平和活動家だから」
「環境保護団体のひとだから」
などでひとをひとつの枠にはめ、評価してしまいがちです。
その結果
「あのひとは共産党だから言っていることは正しいに違いない」
とか
「あのひとがこの問題に関心を持っていないのだから、自分たちも関心を持つ必要はないのだ」
など、おかしな行動に陥ります。
やはり
「思考力に問題がある」
ように思えてなりません。
選挙で
「なぜ共産党に投票できないか」
を本気で考えるひとなんてまずいません。
同様に
「民主党でもいいと考える人たちの心理」
を本気で考えるひともあまりいません。
「ひとは皆分かることだけ聞いている」
―――うまいことを言ったひとがいますね(ダレか忘れました)。
多くのひとは「分かること」があまりに少ないため、聞いて理解することもあまりに少ないのです。
でも
「分かっている」「分かっていない」を言い合いしてもしかたありません。
私たちは少しでも
「分かろうと努力する」
姿勢が必要なのではないでしょうか。
その上で「批判」や「共感」を示せばいいでしょう。
「何も聞かない、知りたくない」人が、無責任な支持を表明したり、批判したりすることはやめてもらいたいものだと常々思っています。

教師の品格

私の小学校の頃は、教師の質は信じられないほどひどかった!

「愚連隊」

という言葉を若いひとは知らないかもしれないので「広辞苑」の記述を引用しておきますね。
「繁華街などを数人が一団となってうろつき、不正行為などをする不良仲間」
とあります。
まさに小学校の教師たちは「愚連隊」そのものでした。
いや、それ以下でしょう。
悪さは教室内でもっともひどかったのですから。
母は
「軍隊上がりの教師」
と言っていましたが、その言動はまさに軍人のものでした。
ちょっとでも気に入らないことがあれば
「きさま―!」
と怒鳴り往復ビンタの嵐。
クラスで殴られなかった生徒なんて一人もいませんでした。
殴る理由なんてなんでも良かったのです。
「今日昼食時に一言でもしゃべった者は立て」
と言い、ほとんど全員を立たせてビンタを与えるのです。
ビンタくらいで済めばまだいい方。
中には全身あざだらけになるほど殴られ、熱をだして寝込んでしまう生徒もいました。
女の子の胸に触る教師も珍しくはなかったのです。
今だったら完全に「懲戒免職」ものです。
それでも当時は問題にされることは皆無でした。
親たちの意識もまだ「軍人」だったのかもしれません。
(日本の軍隊は完全に日本人を崩壊させましたね!)
そんな教師が徒党を組んで闊歩してました。
校長も怖かったのか、見て見ぬふりでした。
そんな小学校を卒業したときは、ほんとに嬉しかった。
あー、あの教師とは永遠に別れられる!
―――まるでDVから逃れられた女のひとのよう。
さて、中学校へ入ってまず感激したのは教師たちの素晴らしさ!
です。
小学校時代とは全く違う!!
あー、やっぱり中学は違うなぁ・・・って感動しました。
小学校ではほとんどまともな授業を受けられなかったため、私たちの学力はとても低いものでした。
他の小学校からきた子供たちとは大きな差が既にできていたように思います。
もっとも重要な時期をあの忌まわしい教師によって台無しにされた思いは今も消せません。
私は基礎学力を小学校時代に構築することができなかったのです。そのことがずっとあとあとまで影響しました。
ただ、英語だけは中学校に入ってから皆で
「よーい、ドン!」
だったので、成績を上げることができました。
中三のときにも90点以下の点数をとった記憶はありません。
教師により子供たちの将来に重大な影響が出る
このことは私の脳にこびりつき、一生私の行動に影響を与え続けるでしょう。
息子の中学校に対してしばしば苦言を呈し、反省を求めるのはこのことが大きく影響しているでしょう。
息子の先生たちを見ても、教師の質によって子供たちが大きく影響を受けることを目の当たりにしてきました。
小学校高学年の担任女性教師はホントに
凄い教師
でした。
授業参観をしたときのことは鮮明に覚えています。
まるで生徒と教師の「掛け合い漫才」のごとく早いテンポで授業が進みます。子供たちもボーとしている間もないほど濃縮された授業風景をみて、
「これはとても新米教師にはできないなー」
と感心したものです。
別の機会に学年全体が集まっての授業があり、それも参観しました。
先生から質問があると、息子のクラスの生徒はほとんどが「ハイハイ!」と元気に手を挙げるのに、他のクラスは数人程度が手を挙げるだけで、ほとんどの生徒たちは黙っていたのです。
この差は驚愕の状況でした。
素晴らしい先生が担任になってくれたこと、今でも感謝しています。他のクラスの先生たちも、とてもいい先生方だったのですが、教師としての力量には差がありました。このときの校長先生も子供たちからとても好かれていました。
息子は今でも
「小学校の先生はいい先生が多かったなぁ」
と言います。
私も小学校に文句など言ったことはただの一度もありませんでした。
でも今、息子の中学校の実態はとても看過できる状況ではないと感じています。
校長をはじめ、教師たちの質のレベルがとても低い。
「若くてまだ経験不足だけど必死に頑張っている姿」
というものが見れたならまだ納得できたのですが、何十年も教師をやっている人が、自分の都合しか考えていないような態度。こんなのを見せつけられると怒りがこみ上げてきます。
やっていることは
● 怒る
● 怒鳴る
● 締め付ける
です。
自分たちが「教育の奉仕者」であることを忘れ、「子供たちを支配する者」と思い違いをしています。
どうしても私の小学校の教師たちの姿とダブってみえてきてしまうのです。
だから許せません。
もうあの中学校には何も言うことはないでしょう。
何を言っても無駄だと感じたからです。私の提出した文書をしっかり読んでいないかあるいは読解力がないのか、まったくトンチンカンな対応しか返ってきません。
子供にとっては必ずしも幸福な三年間とはならなかったと感じます。でも普通に学校生活を送れたことは良かった。積極的に活動できたこと―――これは小学校の先生の力のおかげが大きかったでしょう。
中には不登校になってしまった子も少なからずいます。彼らが高校へ進んで新たな人生の出発を得られることを心から祈ります。

PTA いらだつ関係

今息子が通っている中学校はかなり問題のある学校として有名らしいです。
「あそこの生徒とはかかわり持つな」
って親たちの間では言われていたよ―――って友人から聞かされました。。。。。
やっぱり問題校と呼ばれるような学校は、教師も問題あるようです。
いや、校長が一番悪いのかな?
昨日息子の小学校卒業式のビデオを観ていたら、息子がやってきて
「あー、小学校は良かったな! イイ先生がいっぱいいた。校長先生もとても素晴らしいひとだった」ってしゃべりだしました。
要するに今の中学ではあまり「イイ先生」はいないということなのでしょう。
オイラ、一時学校へかなり不満をぶつけました。。。
でももう考えるのやめました。
いらいらするだけだから(教師、生徒、親の間で考えがぶつかりあうし、教師間、生徒間、親同士でもぶつかりあう。解決しないのが見えてきてしまうので)。
いらいらは身体に悪い!!
病人は
「今自分の悪いところはどこなのか」
「何が原因で悪くなったのか」
「どうすればよくなるのか」
を考えます。
でも特別病気もなければ、健康について深くは考えないでしょう。
学校も似てますね。
校長に悪い話が入らなければ自校の「病」に気がつかない。
だから「ウチの学校は良い学校」で終わってしまう。
生徒たちからの悲鳴があっても気付かずまま。
(そのうち重病に陥るぜ!)
もし「悪いところがある」と認識すれば
「何が原因か」「どう対処すべきか」
という議論が起こってくるはずです。
でも命がかかっている病人と違い、学校は死にゃしない。
だから原因追究もおろそかになりがち。
悪いのは子供の性格。それを育てた親たちのせい。
―――で終わらせてしまえば
「学校では何もできません。各家庭で取り組んでください。」
で終わり。
親は
「ウチでは何もできません。学校で教育してください。」
あ、病人でもそうゆうひといるかな。
「オレ自身の生活は別に悪くない。悪いところを取り除くのは医者の責任だろ!!」
って。
医者の中にも
「病気を治せるのは医者だけ。あんたがいくら気張っても処方箋なしに良くなることはない。」
って考えているひといますね。
医者と患者
教師と生徒&保護者
この複雑な関係、なんか似ているんだよなぁ・・・。

校長先生との対話

今日は校長先生と会って話をしてきました。
部活顧問の先生の基本方針と実際に行われていることの違い。
そしてそれを校長が承認している実態について議論をかわしました。
私と校長先生の二人だけの会談でした。。。
校長先生は週4日は学校に居ないそうで、学校の実態については
あまり把握できていないということでした。
「いいことじゃないんですが・・・」
と言ってましたが、そんな実態があることも今回知ることができ
ました。
「他の学校ではそのようなことはないでしょう。たまたま自分が
そういう立場になってしまったので・・・」
ということです。
ヘンですね・・・。
ま、1時間以上に渡る話し合いの中で知らなかった様々な実情にも
触れることができました。
あまり議論が深まったとは言えませんが、こちらの言い分は理解
してもらえたと思います。
つまり・・・
部活時間を短縮しろ!!
―――ってことではなく、部活方針として明記されていること、
つまり「勝つことが目的でもなければ、プロ養成所でもない」
ということが守られていないし、それを校長が承認してしまって
いるのはおかしいのではないか―――という問いかけです。
何かを要求しにいったのではなく、事実関係に対する認識を
共有したかったのです。
結果、校長が顧問に対して
「基本に立ち返って、基本方針を守るよう指導する」
ということでとりあえずの話し合いは終了しました。
校長先生からは様々なはなしが聞けたことはよかった。
世の中には不思議な親も結構いるものです。

「あの顧問を辞めさせろ! あいつでは大会に勝てない」

なんて電話もあるそうです。
「あの教師を辞めさせろ! あいつでは勉強できるようにならない」
という電話はないそうです。
面白いですね。
親もいったい何を考えているやら・・・。
部活のことになると何でみんなこんなに熱くなってしまうのか!?
進学に関しても、おとなしかった親が、子供が受験に失敗するや
学校に「どうしてくれるんだ!」と怒鳴り込んでくることがある
というのです。
そりゃ子供の学力不足とか単純な失敗とかいう理由はあるでしょうが、
学校のせいにしてどーすんの!
って思いますよね。
私もかねがね思っていたことですが、校長先生も
「最近は母親が本当におかしくなってしまった!」
と嘆いておられました。
背景には
「競争原理」
に対する「無抵抗の受け入れ」があるように思えてなりません。
競争=善
勝つこと=良
負けること=死
なんでもかんでも「競争競争!」
人生「生きるか死ぬか」の闘い。
勝てば天国、負ければ死を意味する。
―――そんなゆがんだ人生観、社会観が親たちを蝕んでいるんじゃ
ないでしょうかね。
子供たちは被害者です。
何かで失敗したり負けたりしたら、
「自分は人生の敗北者」
と思い込んでしまいかねない。
失敗があるから成功もある。
負けもあれば勝ちもある。
いや、失敗しかない人生や負けしかない人生だっていいじゃない!
それもひとつの人生ですよ。
いつから
「勝たねばいかん!」
なんてなっちゃったんでしょうね。
「教育も モノづくりも 寿命も 世界一!!!!!!」
って谷垣が「がなって」ますが、
教育現場も 生産現場も 年寄りの生活も 
その質はとても世界一なんて呼べるもんんじゃない!!
なのにいまだに経済力世界一をめざそうとして
「たちあがれ日本」
なんて「EDおやじの会」みたいのが出しゃばっている。
みんなおかしいと思わないかい?

中学校部活の異常さ

昨日はかなりの
頻尿と痛み
で苦しめられました。
原因が分からないのが困りもの。対処方法がないのですから。
ひとつ考えられるとしたら、ストレス・・・
実は6月6日は息子の中学校吹奏楽の講習会。
でも当日親友の娘さんが通う高校吹奏楽部の定期演奏会があり、
そちらに誘われていたので、講習会は休もうと思っていたのです。
ところが、顧問教師は
「講習会を最優先してください。(休まれるのは)困ります。」
との連絡。
これでカチンときました。
最近では不登校の子が多く、中学でも無理に授業に引っ張りこもう
とはしていません。
それなのに、土曜日曜の部活は「絶対出席!」を強要するとは
一体どうゆう考えなのでしょうか!!
それに加え、親に子供の送り迎えをしろというのです。
中には都合がつかず、送り迎えできない親だっているはず。
すべては教師側の都合で物事が動いてゆきます。
そこでは子供も親の存在も無視されます。

近年部活の異常さに多くの親や子供たちが悲鳴をあげ、また
多くの子供たちが退部してゆうくという現実があります。
いつからこんなに異常な事態になってしまったのでしょうか?
実はここ信州が悪の根源地のようです。
大阪で教員をやっている友人から聞いたはなしですが・・・
「そういえば20年くらい前だったかなぁ・・。子供たちを
なるべく長い時間学校に閉じ込めておけば非行化を防げるという
安易な考えで始まったみたい・・・。当時『長野方式』って
呼ばれていたよ。」
とのことでした。
どこの学校でもとりわけ吹奏楽部はその活動の異常さが指摘
されています。
顧問教師は次のようにも言います。
「吹部に入るにあたって、そのへんは理解してもらって入部して
いるはず」
あほかいな!
そんな説明など一切なかった。
だから一年生の前半で、私は担任教師に
「こんな異常な状態が続くなら、部活をやめさせる」
とまで言ったものです。
この異常さに市、県の教育委員会から吹奏楽連盟までまったく
気付こうとしない。。。
本当にこの国の教育はゆがむ一方です。
日教組もこの点ではまったく問題意識が希薄と感じます。
親も子供たちも望まない、こんな状況がなぜ続いているのか?
ひとりの教員の言葉がその回答なのかも・・・。
「部活で名を上げようとする教員が少なからずいるのです。」
ということです。
とりわけ音楽教師は他で目立つことができない。受験にも無関係。
で、コンクールなどで実績をあげ、「名をあげたい」と考える
教師が多いということです。
なんとも不幸な事態です。

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